第8話

今度は俺が狼狽する番だった。惚れた弱みとは、こういうことを言うのだろうか。逆に言えば、この時、既に寿美子には弱みに思うことなどなかったのだろう。

「なんで、そんなこと言うの?」

そう言うのが、俺には精一杯だった。

「だって拓磨、しつこいんだもん。」

「でも、おかしなこと言ってるのは、寿美子だよ。」

「そこまで人のプライバシー覗こうとするなら、もう嫌だよ。別れてもいいよ。」

プライバシーを覗く?
これは、そういうことになるのだろうか?
娘のメールの内容を見せろと言っているのではない。娘の携帯だという証拠を見せろと言っているのだ。
それとも、浮気の詮索をすることが、プライバシーを覗くということか?
不倫相手というものは、一体どこまで相手のプライバシーに介入することが許されるのだろうか。例え不倫という間柄であろうと、愛する相手はただ一人でなければいけないと思うのは、俺の身勝手だろうか?

「なんでそこまでの話しになるの?もういいよ。正月早々、喧嘩することないじゃん。」

俺は、不甲斐なくも折れてしまった。

「とにかく、ご飯、食べに行こうよ。」

俺は、無理矢理話しを終わらせた。
寿美子は返事をするでもなく、俺から視線をそらしていた。

「行こ。」

俺は寿美子の右手をつかみ、スクランブル交差点方向に歩き出した。
寿美子は黙って、手を引かれるままについて来る。

「何食べる?」

俺は尋ねた。

「なんでもいいよ。」

そっけない返事が返ってきた。まあ、機嫌が悪くない時でも、寿美子の返事は同じだが、今日の返事は、明らかに気持ちが入っていない。
とりあえず俺は、スクランブル交差点を渡って、センター街方向に歩いた。特にあてがあるわけではないが、とにかく、動きたかった。

正月の渋谷は混んでいた。
もろに昼食時とあって、食事ができる店は、どこも一杯だった。
歩いた末に、俺と寿美子は、道玄坂にあるファミリーレストランに並ぶことにした。

20分くらい待っただろうか。その間、会話らしい会話をしなかった。
さっきはやむを得ず、あれ以上、寿美子を追及しなかったが、それで自分の気持ちが納まるはずもなく、気持ちを切り替えて、寿美子と会話を楽しむことも、ましてや、それ以上、取り繕って、寿美子の機嫌を直す努力はできなかった。

通されたのは、入り口近くの、あまり落ち着かない2人用の小さいテーブルだった。更に喫煙席というオマケまでついている。俺も寿美子も煙草は吸わない。
寿美子が奥のソファータイプの席に座り、俺は通路側の椅子に座った。
すぐ後ろには、待っている客が立っていて、慌ただしい。

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第7話

今年の正月の疑惑・・・

結局、前の年は、クリスマスイブの翌日に、寿美子の自宅の近くまで押し掛けて、問い詰めたのが、寿美子に会った最後だった。そのあと寿美子は、予定通りクルーザーに乗ると言って、待ち合わせの新橋まで行ってしまった。俺は新橋駅まで一緒に地下鉄で行き、改札を出て寿美子と分かれ、JRに乗り、帰った。待ち合わせ場所に誰がいるか見て行けばと寿美子に勧められたが、そう言うからには、見られても尻尾をつかまれることはないと思ってのことだろうから、無駄なことはしなかった。また、そこまでする男では、いたくなった。

年が明けた今年の1月2日、俺と寿美子は渋谷で待ち合わせをした。
渋谷で待ち合わせるというのは、円山町のラブホテルに行くということが二人の暗黙の了解だ。
どんなに疑っていても、俺は寿美子のことを愛している。今年最初に寿美子と愛し合えることを、俺は楽しみにしていた。年が変わって、寿美子との関係が、良い方向に戻ることを、俺は願っていた。不思議なもので、新年というのは、人の気持ちまで新しくする。そのこと自体は、問題を解決させる力など持っていないと解っていても。

俺は朝、仕事に行くと妻に言って、家を出た。
フリーランスという仕事だからこそ、こういうことができるのだろう。
これが、普通のサラリーマンだったら、正月に働くと言って外に出ることは、難しいに違いない。

待ち合わせは正午だった。
ハチ公前交番横のJRの改札口が、いつもの待ち合わせ場所だ。
俺は12時よりも少し前に着いた。
どうせ寿美子は、まだ来てないだろうと思って改札を出た。
ところが、交番の前に寿美子の後ろ姿が見えた。
こちらにはまだ、気付いていない。下を向いて一点を見つめている。携帯をいじっているようだ。
俺は、寿美子の後ろから
-と言っても、どの道、寿美子に近づくには、後ろからしかないのだが-
近づいた。
寿美子は、俺に気付いて、はっとした表情をした。次の瞬間、慌てて携帯をハンドバッグの中にしまった。
その時しまった携帯電話を、俺は見逃さなかった。
今まで寿美子が使っていた携帯とは、明らかに違う。
寿美子は見るからに狼狽していた。

「何、その携帯?」

俺は、新年の挨拶をする前に、その携帯に対する質問をした。
寿美子が今まで使っていた携帯は、俺と選んだものだった。
携帯など、どんなものでもいいと言う寿美子は、ドコモのムーバの古くなった機種を安く買った。
しかし、今見た携帯は、まったく違うものだった。
どこかで見覚えがある。
音楽が聴けることを謳い文句にした携帯だと思う。折り畳むと真四角なデザインは、斬新と言えばいいのだろうか。俺にはそのセンスが理解できないが。街中で見掛けたことは、一度もなかった。その携帯を今、寿美子が持っていた。
それにしても、新年最初にかけた言葉が疑いの言葉とは、俺の寿美子と良い関係に戻りたいという、ささやかな希望は、年が明けて2日ともたずに、打ち砕かれた。

「なんでもないよ。」

「なんでもなかったら、いつもと違う携帯持たないでしょ。なんなの、その携帯?」

寿美子の携帯電話は、俺名義である。名義人自らか、名義人の許可がなければ、機種変更はできないはずである。まさか、2台目を買ったのか?浮気相手用に。
俺は待ち合わせの人々で、かなり混んでいる交番の前で、寿美子を問い詰めた。何故こうも、短い間に自分の恋人を、立て続けに詰問するはめになるのだろうか。自分でも、うんざりする。

「間違って、みいちゃんの携帯、バッグに入れて来ちゃったんだよ。」

「はあ?間違って人の携帯、自分のバッグに入れる人がいるわけないじゃん。似てるんならともかく。それに、みいちゃん、携帯なんて、持ってなかったじゃん。」

「それが、この間、抽選で当たったんだよ。せっかくだから、契約したんだ。」

「なんの抽選?」

「私も良く解らないけど、どこかでもらった応募葉書、送ったらしいよ。」

「人の携帯のメール、なんで見てるの?」

「見てないよ。」

「じゃあ、今、なんで開いてたの?」

「みいちゃんからメールが来るから。」

「今、見てないって言ったじゃん。それにみいちゃんは、何からその携帯にメールするわけ?」

「私の携帯だよ。」

「寿美子は娘に、自分の携帯に入ってる内容、見られてもいいわけ?俺とのやり取り、全部見られるじゃん。」

寿美子が自分の携帯に、一切、セキュリティーをかけていないのを、俺は知っている。

「そんなこと、する子じゃないよ。」

「そんなわけ、ないじゃん。例え、置いてある携帯は、勝手に見たりしないにしても、使わせれば見るに決まってるじゃん。」

「そんなことないよ。」

寿美子の言い訳は、いつも見え見えで、言い訳の下手さに腹が立つことがある。騙されるなら、騙されていることに気付かないくらいの方が幸せだという、ひとの言葉につくづく同感する。

「その携帯、ちょっと見せてよ。」

「だめだよ。」

「なんで?」

「みいちゃんのだもん。」

「中身まで見せてとは言わないから、みいちゃんのだって判る部分を見せてよ。メールのタイトルとかで、大体判るでしょ。」

「できない。」

「なんで。」

「みいちゃんのだから。」

「だから、みいちゃんの物だってこと、証明してよ。」

「じゃあ、帰る。」

「はあ?なんで?」

これを逆切れと言わずに、何を逆切れと言うのだろうか。開き直りにも、ほどがある。

「そこまで拓磨に言われたくないよ。」

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第6話

「だから寿美子が本当のこと言ったらね。」

喫茶店アマンドの中は少し混み始めた。平日の昼間の喫茶店というのは、どうしてこうもサラリーマン一人という姿が多いのだろうか。全員が仕事をさぼっている営業マンに見える。全員でないにしても、その何割かは本当にさぼっているのだろう。

「いないのに、いるって言えないでしょ。」

寿美子はそれでも、浮気していないことを主張した。

「じゃあ、俺から言うけど、去年のクリスマスイブ、男と会ってたでしょ。」

寿美子は一瞬、考えた。

「会ってないよ。」

「みいちゃんの友達のうちに、パーティー呼ばれたとか言ってた日だよ。本当は、一晩中、男とドライブして、どっか泊まったんでしょ。」

「またその話し?違うって、あの時言ったでしょ。」

「どう考えたって、あれはクロだよ。」

「そう思うのは、拓磨の勝手だよ。」

「別れて欲しいんなら、正直に言えばいいじゃん。何を、この期に及んで隠すことあるの?その心理が俺には理解できないよ。最後まで、ええかっこしたいの?どうせ別れる相手なら、何言ったっていいじゃん。」

「・・・」

「俺が最初に疑い出したのは、その時だよ。」

「・・・」

「じゃあ、もっと言おうか。その1週間くらいあと、年が明けた今年の正月、2日に会ったよね。あの時、突然、変な携帯持ってたよね。なんか苦しい言い訳してたけど。あれだっておかしいよ。」

俺は次の疑惑の種を、寿美子にぶつけた。

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第5話

『どうしたの?』

俺は返信した。

『お化粧に時間かかっちゃって。』

寿美子から返事が返ってきた。

『何時頃になる?』

『15分くらい遅れるかな。』

いつものことだが寿美子が約束の時間通りに来ることはあまりない。30分などというのはざらで、1時間待たされる時もある。ほとんどは娘のことを理由にする。「みいちゃん」という言葉を免罪符にしているかのようである。

俺はテーブルの上の冷めたコーヒーを口に含んだ。

結局、寿美子がやって来たのは、更に15分遅れの9時半頃だった。

「ごめん、待った?」

寿美子はコーヒーを持って、ソファーに座っている俺とテーブルを挟み向かいに座った。

「夕べはどこ行ってたの?」

真実の答えが返ってくることがないのを承知で、俺は尋ねた。

「みいちゃんの友達のうちだって。」

予想通りなんの進展もない答えが返ってきた。

「ねえ、本当のこと言いなよ。」

「しつこいよ。」

寿美子は切れ気味に答えた。

「寿美子の言うことって、辻褄だけは合ってるけど、全部後から付け足してるだけなんだよ。」

俺は思っていることをストレートにぶつけた。

「でも本当のことなんだから仕方ないじゃない。」

「それに、寿美子の夕べから今までの行動って、俺への配慮がどこにも入ってないんだよ。昨日からメールに返信してないことや、電話を切ったことは寿美子自身、自覚があるはずでしょ。今まで、気にもしてなかったてことじゃん。普段の寿美子なら、なんかメールしてくるはずじゃない?」

「・・・」

「それに、寿美子は朝ごはんまでご馳走になりたくなかったとか言ってるけど、5時に起きて出てくるなんて不自然だよ。」

「・・・」

「やっぱ、俺が電話する直前まで誰かと一緒にいて、連絡できなかったし、連絡する気もなかったていうのが本当なんじゃないの?」

「そんなことないよ。」

「本当に俺のこと愛してるの?」

「愛してるよ。」

「でも言ってることと、やってることが違うじゃん。」

「・・・」

「ほかに男ができたんなら、はっきり言いなって言ってるんだよ。」

「いないし、拓磨だけを愛してるよ。」

今度は俺が黙ってしまった。寿美子は限りなくクロに近い。正直、最近、寿美子の俺への愛情の薄まりを感じていた。喧嘩をする周期が短くなってきている。喧嘩の度に、俺と別れて結婚できる相手が欲しいという言葉が寿美子の口から出てくる。そんな中のこの事件である。俺が正直に言ったら別れてやると水を向けたのだから、事実ならば、この時とばかりに告白しても良さそうなものである。なのに寿美子は白状しない。一体、何を考えているのだろうか。見当もつかない。もしかしたら本当に、俺の思い過ごしなのかもしれないとすら考えそうになる。

「もういいでしょ。」

寿美子が俺の沈黙に乗じて畳み掛かってきた。

「俺は納得してないけど。」

「拓磨には悪いことしたよ。今までメールしなくて、ごめんね。」

「それで俺が許して終わりなの?」

「それじゃ駄目なの?」

「クルーザーって何よ?」

「だから言ったじゃない。」

「そこからして怪しいんだよ。」

「大勢で行くんだよ。疑うなら新橋までついて来ればいいじゃん。待ち合わせの喫茶店、覗いてみれば?」

「大勢だから浮気相手がいないって証明にはならないけどね。」

「じゃあ好きにしなよ。」

「開き直るんだ?」

「だって拓磨、何言ったって信じてくれないじゃない。」

「寿美子が事実を隠して不自然な嘘で固めるからだよ。」

「嘘じゃないってば。」

寿美子を自白させることは無理だと俺は悟った。それに、浮気と一方的に決めつけて、別れを告げるには、寿美子を失いたくないという気持ちの方がまだ大きかった。

俺は落としどころを探さずを得なかった。

「寿美子は俺のものなの?」

「そうだよ。」

「じゃあ、キスして。」

見えるところに、ほかの客がいないことを確かめて俺は言った。防犯カメラがあるかもしれないが。人の目でないなら、この際気にしない。

「口紅が落ちちゃうよ。」

と言いつつも寿美子は目をつぶって顔を近付けてきた。同時にテーブルの上に乗った豊かな胸がせりだしてくる。白い薄手のふわふわとしたセーターが胸の大きさを強調している。
俺は目を閉じずに、寿美子の唇を受けた。
寿美子の厚みのある舌を自分の口の中に導き入れる。この熱さ、この弾力、このねっとりとしたからみつき具合、この表情、すべてが好きだ。この女とのキスは飽きることがない。これがいつものホテルだったら、5分以上続けていただろう。しかし、ここはいつ誰が来るかも分からない喫茶店の中である。俺はほんの一瞬の安堵感とともに寿美子の唇を離した。

「口紅直してくるよ。」

寿美子はそう言って席を立った。

これが疑惑の始まりだった。

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第4話

泉岳寺のA4出口を出た右に喫茶店ザネッティはある。

俺はエスプレッソをたのみ、左奥にある階段5段ほど高くなった、外や店内から死角になっている席に座った。奥まった場所に、ソファータイプの椅子というのが気に入っているので寿美子と泉岳寺周辺で待ち合わせる時は、いつもここを利用する。ちょっと不思議なのは、店内に入った左にエレベーターがあり、4階にある焼肉の牛角の入口にもなっている。
今、客は少ない。

9時までの1時間足らずの間がなんと長いことだろうか。

俺はコーヒーを飲みながら、今、寿美子と話した内容を改めて反すうした。
寿美子の言うことはすべて辻褄があっている。しかし、すべてが後付けである。寿美子から俺に連絡する機会は、いくらでもあった。なのに寿美子は俺から電話するまでメールすらよこさなかった。仮に寿美子の言う通り、酔っぱらって寝てしまっていたとしても、朝起きた時、メールチェックをするはずである。今まで、何もやり取りする内容がなかった日でも、「おやすみ」「おはよう」のメールだけはお互い、ほとんど欠かしたことがない。寿美子が自分の都合でそれをしなかったのだから、真っ先に気になるはずである。俺がきのう出したメールに返信していないのだから、先ずは、なんらかの返信をしようと思うのが普段の寿美子のはずである。それに俺は今朝、寿美子の娘に心配してるから連絡して欲しいと伝言を頼んでおいて、それを寿美子は間違いなく聞いている。なのに連絡することはなかった。別れるつもりだから、どうでも良いと思っている相手なら仕方ないが、少なくとも、さっきの様子では、まだ俺と別れたくないらしい。ならば何故、これ程までに俺をないがしろにするのか?答えは、つい今しがたまでメールも電話もできない環境にいたと考えるのが妥当ではないだろうか。俺が電話する、わずか数分から十数分前まで、誰かと一緒にいて、俺からの電話がつながらないように電源を切っていた。その誰かに自宅まで車で送ってもらった。携帯の電源は車を降りた直後か、または自宅に戻ってから入れた。俺から電話があったこと、母はコンビニに行っていると適当に言っておいたこと、俺から連絡するように頼まれていたことを娘の美和から告げられた。それを聞いて、どうしようか考えていたか、メールを打っている最中に、俺から電話がかかってきた。そう考えれば、すべての辻褄が合う。今日、クルーザーに乗ると言うのは、日常、考えつくことではない話しなので、おそらく本当のことなのであろう。しかし、誘われた相手は、寿美子の言う、娘の友達の両親ではなく、今朝まで一緒にいた相手ではないだろうか。

俺は寿美子と出会ってからの約5年間、感じたこともなかった不安に襲われた。
今まで、相思相愛を疑ってもみなかった。
口では寿美子に、結婚できそうな相手が見つかったら、その時はいつでも別れてやるなどと言っていたし、実際、そうしてやろうと思っていた気持ちが突然、揺らぎ始めた。
コーヒーはとっくに冷たくなっている。

そんなことを考えている時、寿美子からメールが入った。

『ごめん、少し遅れる。』

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第3話

俺の自宅の最寄り駅である京葉線の海浜幕張から寿美子の住む都営地下鉄浅草線の泉岳寺までは1時間程度である。自宅を出るころはまだ太陽も出ておらず、朝と言うには暗すぎたが、地下鉄を降りて地上に上がった時は、すっかり明るくなっていた。俺は先ずメールをチェックした。ここに来るまで、駅に止まる度にメール問い合わせをしてきたが、やはり最後まで寿美子からメールが来ることはなかった。留守番電話サービスにも問い合わせてみたが録音はなかった。次に寿美子の携帯に電話を掛けた。

呼び出し音が鳴った。

『もしもし。』

寿美子が出た。

『寿美子、どこにいるの?』

俺は尋ねた。

『うちだよ。』

『どこ行ってたの?』

『みいちゃんの友だちのご両親のお宅にクリスマスパーティー誘われたから行くって言ってたじゃん。』

みいちゃんとは、娘の美和のことである。

『泊まったわけ?』

『うん。』

『なんで?』

『酔っぱらっちゃってさあ、気がついたら布団で寝てたよ。』

『みいちゃんも?』

『みいちゃんも泊まったよ。』

『6時くらいに寿美子んち電話したら、みいちゃんしかいなかったよ。』

『私、帰ってきてからセブンイレブン行ってたんだよ。』

俺にそう言ったと娘から情報が伝わっているのだろう。

『なんで帰ってから、わざわざ買い物に出るの?』

『買い忘れてたものがあったから。』

『泊まったのになんでそんなに早く帰って来る訳?』

『あんまり長居して迷惑掛けたくなかったんだよ。朝ご飯まではご馳走になりたくなくて。』

『5時とかに起きて出てくる方が、よっぽど迷惑じゃん。』

『あちらのお母さんは起きてたよ。』

『なんでメールも電話もよこさなかったの?』

『メール入ってるのに気が付かなかったよ。』

『いつまで?』

『さっきまで。』

『なんでさっきから今まで、何も連絡よこさなかったの?』

『今しようと思ってたんだよ。』

『なんで夕べ1回、電話がつながった時、すぐ切ったの?』

『近くにあちらのご両親がいたからだよ。』

『なんで電源切ったの?』

『あそこじゃ拓磨と話せないからだよ。』

『みいちゃんに連絡するように頼んでおいたのに、なんで直ぐにメールくれなかったの?』

『ごめん。』

『なんで嘘つくの?』

『嘘なんてついてないよ。』

『全部嘘じゃん。』

『ほんとだって。』

『パーティーに行ったのはみいちゃんだけじゃないの?みいちゃんは一人で夜中に帰って来たけど、寿美子は別行動だったんじゃないの?寿美子は朝帰りしたんでしょ。ご丁寧にみいちゃんに口裏合わせさせて。』

『そんなことないよ。ずっとみいちゃんと一緒だったよ。』

『ほんとのこと言いなよ。』

『言ってるって。』

『ほんとのこと言ったら別れてあげるよ。』

『ほんとのこと言ってるし、別れたくもないよ。』

『なんで?しょっちゅう別れたいって言ってたじゃん。結婚相手見つけたいんじゃないの?』

『今は拓磨と別れたくないよ。』

『なんで?』

『別れたくないから。』

『じゃあ、なんで浮気するの?』

『してないって。』

『今、泉岳寺にいるんだけど。』

『なんで?』

『浮気の現場を押さえるため。』

『じゃあ、疑いが晴れたからいいじゃん。』

『決定的な証拠がないのと寿美子が自白しないだけで、晴れたわけじゃないよ。』

『まだ疑ってるの?』

『疑ってるよ。なんで二股かけるか解んない。』

『二股なんてかけてないよ。どうしたら信じてくれるの?』

『じゃあ、今すぐ来て。』

『解った。みいちゃんにご飯食べさせたら行くよ。』

『まだ食べさせてないの?今8時だよ。少なくとも6時前には帰ってるのに、今まで何してたの?』

『寝てた。』

『セブンイレブンから帰ってきてから直ぐ寝たの?』

『うん。』

『みいちゃんも?』

『うん。』

『嘘ばっか。』

『嘘じゃないって。』

『じゃあ、早く来てよ。』

『解った。』

『今日は一緒にいられるの?』

『それが午後からクルーザー乗りに行くことになったんだよ。』

『はあ?クルーザー?』

『そう。きのう行ったとこのご夫妻のお友達が持ってて、今日乗りに行くんだけど、ほかに友達連れて来てもいいって言われてるから一緒に行こうって誘われたの。』

『それ、二股の彼氏に誘われたんじゃないの?』

『違うよ。』

『何時から?』

『11時に新橋集合なんだ。』

『朝の?』

『そう。』

『みいちゃんは?』

『勉強があるから行かない。』

『そっちの家族とのパイプ役はみいちゃんじゃないの?本人抜きっておかしくない?』

『そんなことないよ。前から家族ぐるみで親しくしてたんだよ。』

『とにかくザネッティで待ってるから。何時に来れる?』

『9時くらいかなあ。』

『じゃあ、あとでね。』

『うん。』

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第2話

10時、ご馳走もケーキもコーヒーも、すべて片付け終わった頃、俺は再び仕事をすると言って仕事部屋に戻った。携帯を見てもメール着信を示すマークはついていない。無駄とは思いつつメール問い合わせをしてみた。やはり入っていない。俺はもう一度、寿美子の携帯に電話をしてみた。

『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入ってないため掛かりません。』

新たな疑いが俺を悩ませることになった。電源を切ったのか。もう一度掛けてみた。やはり同じアナウンスが流れる。電波状態が悪いところにいるのか?悲観的観測と希望的観測か入り乱れる。俺はもう一度掛けた。繋がった。呼び出し音が鳴る。1回、2回、切れた。やはり電波状態か?リダイヤルした。再び呼び出し音が鳴る。出た。そう思うのもつかの間、すぐに切れてしまった。間違いなく意図的に寿美子は切った。もう一度ダイヤルした。

『お掛けになった電話は・・・』

それから5分ほど掛け続けてみたが出るのはいつも同じ女性の声だった。
どう解釈したらいいのだろう。悪いことばかりが頭を過る。
11時を過ぎたころ、意を決して俺は寿美子の自宅に電話を掛けてみることにした。もし娘が出て母親はいないということになれば、寿美子はクロということになる。しかし予想に反して電話には誰も出なかった。
こうなると判らないのは、果たして寿美子は本当に娘と一緒なのかどうかである。その後も俺は、寿美子の携帯に電話を何度も掛けたが、二度と呼び出し音が鳴ることはなかった。
その夜、俺は一睡もできなかった。嫌なイメージだけが頭に浮かぶ。男とドライブして楽しそうな笑顔の寿美子。男に抱かれ歓喜の表情を浮かべている寿美子。
翌日は日曜日であった。日曜に俺が仕事をすることは、ほとんどないのだが、俺は妻に仕事に行くと言って朝6時頃、家を出た。日曜に仕事をするのも変だが、こんなに早く出るのも変だ。妻には異様に映ったかもしれない。
自宅のマンションが見えなくなったことを確認して、俺は寿美子の携帯に電話をした。まだ電源は切られているようだ。続けて寿美子の自宅に電話した。朝の6時という時間は、ひとの家に電話するには、いささか早いと思ったが。

5回ほど呼び出し音が鳴った後、電話がつながった。

『はい、佐竹です。』

寿美子の娘の声であった。

『もしもし伊達ですけど。』

寿美子の娘は俺のことを知っている。お互い会ったことはないが、母親に付き合っている男がいて、伊達という名前で、たまに電話を掛けてくるということを知っている。寿美子の話しを繋ぎ合わせると、娘は俺をあまり快く思っていないようだ。だから、たまに電話に出た時の態度も好意的ではない。だが今はそんなことを気にしている余裕はない。

『お母さんいますか?』

『いません。』

いつもの通り、素っ気ない返事だった。この子がまだ小学校にも上がっていないころに両親は離婚し、それ以来、母ひとり子ひとりで、今は高校受験を控えた中3である。

『お母さんにきのうから連絡を取ろうとしてるんですけど、つかまらないんですよ。何かあったのかと思って心配してるんですけど。』

娘が出た時のことを想定して用意していた言葉を俺は出した。

『お母さんなら大丈夫です。』

その時、寿美子とこの娘は昨夜、一緒ではなかったと俺は直感した。

『お母さん、夕べ帰って来ましたか?』

『はい。』

嘘だ。俺は心の中で思った。

『今、どこですか?』

『コンビニに買い物に行ってます。』

寿美子親子が住んでいるアパートから5分くらい離れたところにあるセブンイレブンのことを言っているのだろう。こんなに朝早くから?

『携帯持ってますか?』

俺は尋ねた。

『持ってると思いますけど。』

『おかしいな、繋がんないんだけど。』

『私には解りません。』

これで娘は今、寿美子がどこでどうしているのか知らないが、口裏だけは合わせようとしていることが解った。

『じゃあ、お母さんが帰ってきら電話するように伝えてください。』

俺は娘に頼んだ。
コンビニに行っているのであれば、遅くとも30分程度で帰ってくるはずである。しかし俺は30分以内に寿美子から電話がかかってくるとは思わなかった。
とにかく俺は、寿美子の家に向かった。行ってどうなるものでもないと知っていたし、ましてや家に乗り込むわけにもいかなかった。しかし、近くまで行かずにはいられなかった。

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第1話

新橋駅の5番出口を出たところに喫茶店アマンドがある。早番だった寿美子に聞きたいことがあると言ってここに呼び出した。寿美子は職場のあるテレコムセンター駅から、新交通ゆりかもめを使って新橋まで戻ってくる。

「ねえ、ほかに男がいるんじゃない?」

2階の方の客席は人影もまばらで、それだけに自分の声の大きさが気になる。寿美子は派遣で通信販売会社のコールセンターのオペレーターをしている。窓の外はまだ厳しい残暑の街だが、店の中は冷房が効きすぎていて寒いくらいだ。
寿美子とこういう関係になってもうすぐ6年。俺は結婚していて2人の娘がいる。寿美子はバツイチで娘が1人。

「いないって前にも言ったでしょ。」

「正直に言いなよ。」

「しつこいなあ。」

「今日という今日は本当のことが聞きたい。」

「本当だってば。」

「本当のこと聞いて寿美子と別れたい。」

「別れてくれるの?」

寿美子はもう何年も前から俺と別れたがっていた。と言うより結婚できる男と付き合いたがっていた。この6年の間、何回別れ話をしただろうか。その度にもう一度やり直そうという話になった。でも今回はいつもと違うような気がする。
俺が男の影に気付き出したのは去年のクリスマスイブだった。寿美子は中学3年生の娘の同級生の両親から、クリスマスパーティーに誘われたので行くと言っていた。その時点で俺は言い様のない不自然さを感じていた。

クリスマスイブはどの家庭でもクリスマスイブ。俺は自宅で家族といつもと変わらぬクリスマスイブを過ごした。

寿美子とは3日前に済ませた。有楽町の日比谷シャンテの地下にあるリストランテ・フレスコというイタリアンで、寿美子が新聞広告で探してきたという店だった。一人2千5百円のコースでフルボトルのハウスワインが1本付いてくる。リーズナブルな料金で且つ料理も満足行くものだった。寿美子はこういう店を見つけてくるのが上手い。俺もグルナビなどて探したりするのだが、情報量で勝る割りには寿美子のチョイスに勝てない。

妙な胸騒ぎを覚えた俺は、家族でクリスマスを祝った後、仕事部屋から9時頃携帯メールを出してみた。

『もう終わった?』

10分待ってもメールは帰ってこない。普通ならこの程度で返ってこなくても、どうとも思わないのだが、不安になっている俺は寿美子の携帯に電話を掛けてみた。ドアを開けたすぐ左は妻や子供たちがテレビを見ているリビングの扉だが、そんなことを気にする余裕はなかった。呼び出し音が鳴った。いくら鳴らしても出る気配がない。寿美子の携帯は留守番電話サービスに入っていない。電話に出ない時は、メールするから入らなくていいと俺が言ったのだった。名義人は俺であった。俺が契約しているドコモのファミリーに入ることで、二人の間のメールは無料、通話は30%割引になるからだった。
呼び出し音は虚しく鳴り続いた。俺は一旦電話を切った。呼び出し音は鳴るが出ないというのはどういう状況だろうか。女性は携帯をバッグに入れていることが多いので、バイブにしていると気付かないことがある。現に寿美子もそういうことがたまにあった。でも何故かそうではないと思う自分であった。

今、これ以上できることがない。俺はリビングに戻った。

「たっくん、何してるの?」

妻の雪子が問いかけた。

「仕事だよ。」

俺はフリーランスで仕事をしている。家と外、半々で。だから家に仕事部屋がある。部屋にこもっていても仕事と言えば通る。

「そう。コーヒー飲む?」

「うん。」

俺は気もそぞろで返事をした。
幼稚園に通っている下の娘はもう寝ている。3LDKの賃貸マンションの南に面した少し広めのリビングの西隣は6畳の和室で、そこを寝室に使っている。今、襖は開け放たれてあり、小さな布団に納まっている娘の寝顔が見える。上の小5の娘はまだリビングでテレビを見ていた。

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